LOVE IN THE
AFTERNOON

PART3 



 アンジェリークは、アリオスとの約束の時間の直前まで、彼の元へ行くのが躊躇われた。
 理由はただ一つ・・・。
 次にアリオスと逢えば、どうしようもなく恋に落ちて、溺れてしまうのは判っていたから。
 アンジェリークは、行くか、行かないかの同道巡りを繰り返していたが、結局は自分の気持ちに負けてしまい、足が自然に「リッツ」へと向かっていた。


 コンセルバトワールの帰りにリッツに立ち寄ったアンジェリークは、チェロケースをそっと柱の影に隠すと、スウィート14のドアをノックした。
 静かにドアが開き、主自らが招き入れる。
「よぉ、時間通りだな」
「こんにちは」
 挨拶をしながら、アンジェリークは思わずアリオスの姿に見とれて、うっとりと溜め息を吐く。
 シルバー・グレーのカチッとしたスーツがよく似合い、彼の完璧さを助長している。昨夜は、大人の艶やかさがあってよかったが、今日の彼も、有能なビジネスマンらしくて、素敵だった。
「何、入り口でぼっとしてんだ? トロトロしてないで入れよ」
「あ、はい」
 促されて、アンジェリークは慌てて部屋の中に入った。
 中では、既に豪華な料理の準備がされ、ジプシー楽団もスタンバイしている。
 アンジェリークは、アリオスを探るように見上げる。
「----悪い。急に仕事がはいっちまって、今夜の便でニューヨークに立たなきゃならねぇ。あまり時間がねぇから、先に準備をさせてもらった」
 さらっと銀の髪を揺らせて、口元にわずかな笑みを浮かべる彼の姿は、アンジェリークの心を鷲掴みにする。
 アンジェリークは、何だか直視できなくて、俯きながら、口を開く。
「・・・私がもしこなかったら、アリオスさんはどうしたの?」
「アリオスでいい。さんはやめろがらじゃねぇ」
「・・・あ、はい」
「もしは、ねぇだろ。現におまえはこうして来たんだ。----違うか?」
 野性味のある艶やかな瞳にからかうように見つめられて、アンジェリークは全身がゾクリとする感覚を覚えた。
「----違わない・・・」
「だろ?」
 アリオスは、アンジェリークの言葉を合図に、指を鳴らして楽団に合図を送ると、彼らは一斉に演奏を始めた。
「えっ、何!」
 1曲めは、激しく「ホット・パプリカ」だ。余りもの激しさに、アンジェリークはびっくりして、体をびくりとさせる。
「クッ、こっち来いよ」
 アリオスは、喉を鳴らして笑い、アンジェリークの手を取り料理の並んだテーブルへとひっぱって行った。
 料理はどれも最高の味付けがされていたが、アンジェリークは、アリオスの姿を見るだけで胸がいっぱいで、料理どころではない。
「----なんだ? 食べねぇのか? だからそんなにやせっぽちなんだよ」
 見かねたアリオスは、アンジェリークにローストビーフの皿を差し出す。
「有難う・・・。あのね、アリオス?」
 アンジェリークは、アリオスを探るように見る。
「何だ?」
「----豪華な料理、楽団の演奏・・・。いつもこうやって女の人を口説くの?」
 アンジェリークのあまりにも世間ずれしていない無垢な質問に、アリオスはからかいたくなって、彼女にふいと顔を寄せた。
「俺みたいに無口で、風采の上がらない男には、助けが必要なんだ。----おまえみたいなかわいらしいのを口説く時にはな?」
 アリオスの、少し冷たそうな感じのする瞳に、明るく優しい光が宿り、可笑しそうに微笑む姿が艶やかだ。
 そんな微笑をされれば、未通娘いアンジェリークなどは、ひとたまりもなかった。
 彼女はどぎまぎしながら、疑うように上目遣いでアリオスを見る。
「----世界中の女の人にみんなそうやってるの? スウェーデンの双子の姉妹とか?」
「どうしてそんなこと知ってるんだ?」
 今度はアリオスが驚く番だ。
「企業秘密」
「----まぁ、ジプシーを呼ぶのはパリだけだ。スウェーデンには1回だけ呼んだけどな」
 音楽が変わり、優しいワルツ調になる。
「ほら、行くぜ」
 アリオスはアンジェリークの手を取り、部屋の中央へと引っ張っていく。
「な、何」
「パリでの踊り収めだ。付き合ってくれるだろ?」
 アリオスは、翠に輝く左眼を軽くウィンクするが、アンジェリークには、それが憎らしいほど素敵に映る。
「うん!」
 アンジェリークは、顔に満面の笑顔を浮かべ、本当に心から嬉しそうに、アリオスに応じた。
 アリオスト踊るワルツは、アンジェリークに最高の楽しさを齎した。
 まだティーンエイジャーの彼女のために、アリオスは、腕でくるくる回してあげたりして、堅苦しくないワルツをリードしてくれた。時には両手を取って踊ってくれたり、体をゆっくり包んでくれたりし、ダンスの楽しさを教えてくれた。
 ----このまま、時が止まってしまえばいい・・・。
 アンジェリークは、楽しさのなかに切なげに考えていた。
 しかし、楽しい時間ほど過ぎ行くのが早い。
 やがて、演奏は最後の曲である「魅惑のワルツ」になる。
 アンジェリークは、急に寂しくて堪らなくなり、その気持ちをもてあます。
「あっ・・・」
 アリオスは静かにアンジェリークの腰を抱き、チークダンスを踊り始めた。
 最初アンジェリークは、体の奥から湧き出る甘美なうずきにどう対処してよいものかわからず、俯いていた。
 しかし、次第に慣れてきて、アリオスに体を預けるようにして、うっとりとした感覚に身をゆだねる。その感覚はアンジェリークにとって、大人の女性への”目覚め”だった。
 「魅惑のワルツ」の演奏が終わっても、アリオスはアンジェリークの華奢な腰に手を回したまま、じっとしていた。
 ジプシー楽団員たちは、いつものように静かに部屋を引き上げる。しかし、いつもと違っていたのは、”起こさないでください”のプレートをかけないことだった。
「アンジェリーク、素敵な午後をありがとよ」
「・・・アリオス・・・」
 アリオスの手がアンジェリークの顔に触れ、優しく顎を持ち上げる。彼の親指に下唇をなぞられ、アンジェリークは息も出来ない。
 アリオスの唇が優しく深くアンジェリークの唇を封じる。そっと確かめるように唇を愛撫され続け、アンジェリークは溶けてしまうかと思うほどの痛みを体に覚えた。
 アリオスの唇が名残おしそうに離され、アンジェリークは濡れた蒼い瞳で彼を見つめる。
「悔しいが、ここでタイムリミットみてえだ」
「うん・・・」
 二人は、どちらからともなく体を離し、部屋を出る準備を手早く済ませた。
「行くか」
「うん」
 二人は、リムジン乗り場までうっくりと向かう。
「----そういえば、名前を聞いてなかったな」
「名前なんて意味はないわ」
 アンジェリークは精一杯の強がりを云って見せる。
 アリオスは、軽く笑いながら、視線を落とす。ふとアンジェリークのバックの”A”の文字が気になり、直感で彼女のイニシャルだと思った。
「アガサか?」
「いいえ」
「アネット?」
「それも違う」
「アリアーヌ」
「見当違い」
「----もうわかんねぇ、アドルフか?」
「アドルフ?」
 これには、アンジェリークもころころと笑う。
「----なわけねぇよな」
「もちろん!」
 などと談笑しているうちに、リムジン乗り場へと到着した。
 そこには、大勢のリッツの職員たちが、上得意のアリオスを見送るために待ち構えていた。
 アンジェリークも、その列の一番後ろに並び、アリオスを見送る。
 職員たちは、「アリオス様、またお越しくださいませ。よい旅を!」と口々に同じ台詞を言い、アリオスから多額のチップをもらっていた。
 最後に、アンジェリークの番になり、彼女は満面の笑顔で彼を迎える。
「アリオス様、またお越しくださいませ、良い旅を!」
 アリオスは、深い微笑をアンジェリークに向ける。
「何か記念の物でも買ってやろうと思ったが」
「そんなこと・・・」
 アンジェリークは、アリオスの言葉を慌てて制したが、ふいに口篭もる。
「あの・・・」
 アンジェリークは、おずおずと云い、ねだるような視線をアリオスに向ける。
「・・・これ、いい・・・?」
 彼女の視線が、アリオスの胸ポケットに入れられた白いカーネーションに向けられる。
「ああ、いいぜ」
「有難う・・・」
 アンジェリークは、震える手をそっと伸ばし、カーネーションを手に取る。
「良い香りね・・・」
 彼女は、カーネーションの香りをそっと愛でる。
「行かなきゃ」
「お元気で」
 二人は、固く握手をし、アリオスは静かにリムジンへと乗り込む。
 静かに走り始めたリムジンを、見えなくなるまで、アンジェリークは見送っていた。
 瞳が涙で曇っていた。


「なんや、こんなとこに枯れかけのカーネーションなんかいれて。アンジェリークやな」
 ビールを冷蔵庫から取ろうとして、チャーリーは、コップに活けられている枯れかけのカーネーションを見つけた。
「おいアンジェ、これほってもええか?」
 兄の言葉に、ベットでうつ伏せで寝ていたアンジェリークは慌ててキッチンへとかけていった。
「ちょっとお兄ちゃん! 勝手に冷蔵庫を触らないで!!!」
 アンジェリークの剣幕に、チャーリーはたじたじになり、おずおずと冷蔵庫を閉める。
「もう!」
「おい、アンジェ」
 部屋に戻ろうとしたアンジェリークを、チャーリーが呼び止める。
「何?」
「最近おまえうつぶせで寝てるやろ?」
「・・・えっ?」
 兄の言葉に、アンジェリークは不思議そうに首をかしげる。
「うつ伏せで寝てる7割の女の子が、深刻な恋愛中やって聞いたことあるで」
 兄の真をついた答えに、アンジェリークは青い瞳を大きく開く。
「元気だしーな、アンジェ。お兄ちゃんのとっときの551の豚まんやるさかいな・・・?」
「ありがとう・・・」
 アンジェリークは、兄の優しさが嬉しくて、久しぶりに笑った。
 だが心からの微笑ではなかった。
 彼女を心から笑わせることが出来るのは、もはやアリオスだけだった。      



コメント
「LOVE IN THE AFTERNOON」の3回目です。今回は、甘い二人と切ない別れ編でした。次回は、再会編です。
作中に出てくる551の豚まんはめっさうまいです。大阪にお越しの際はぜひ食べてください。
邦題の「昼下がりの情事」を「昼下がりの譲二」と思いホ●の記録映画と、昔思ったことがあります(笑)